木曽地域は日本の原風景を残す、貴重なエリアです。

上松町も中山道の宿場として栄えましたが、時代の流れとともに、その景色も移り変わって行きました。

このページでは、最新のAIによる古い写真のカラー化を通じて、古き佳き時代の光景を甦らせてみます。

なお色彩はAIによる自動復元ですので、必ずしも当時の光景を完璧に再現していない点にご留意下さい。

今回の画像は、こちらです。

上松町の町制80周年の際、町内各地で上映された画像資料をつなげました。

撮影時期は昭和12年、木曽川の対岸にある台ヶ峰の山腹から撮影された模様です。

もちろん大火の前の、今は失われた上松町の風景です。

出典: 町制80周年記念映像「あの頃の上松」

(上松町役場総務課作成)

カラー化アプリ: Coloroze Images「Colorize Images」android版

カラー化したところ、見事に空気感・臨場感が格段に向上しました。

3枚続きのパノラマなので、1枚ずつ見ていきたいと思います。

まず上松町の北部から。カラー化の際にオレンジ色の色モワレが発生しレンダリングを調整していますが、すべては消せませんでしたのでご了承ください。

左下に木曽川に架かる鬼渕鉄橋が見えており、右側中段に向かって木曽森林鉄道の軌道が伸びています。

森林鉄道の最盛期、昭和40年ごろには鬼渕の隣に上松運輸営林署が建っており、森林鉄道の一大基地でした。ところが、この画像ではまだ空き地です。

右端、森林鉄道の軌道から画像中央に向かって伸びていくのが国鉄中央線。

画像中段に白く見えているのが、国道19号線となる道路です。

やけに道路が白いと思いましたが、この当時は未舗装道路でしたので、周囲の山々と同じ「サバ土」の地質が現れているようですね。

国道沿い、画像左中段には新田墓地が見えます。この墓地と宿場を隔てる川が、仏教に由来して「十王沢」と呼ばれます。

この川が、冥府と人界の境界線ということらしいです。

続いて上松町の中心部。

こちらはかなりの解像度で着色されました。

左下、緑色の建物から木曽森林鉄道の基地になります。

右側に向かって国鉄中央線と隣接し、上松駅に集めた木材を積み替えていました。

ご覧の通り、駅の貯木場にはすごい量の材木が置かれています。

中段右、上松駅前から中山道にかけてはカラフルな屋根が見られますが、本当にこんな色だったのか、はたまたカラー化アプリのアルゴリズムによるものなのかは断定できません。

もしかすると、この一帯だけ家々が新しかったのかもしれませんね。

町のすぐ奥に見える白い山肌は、天狗山。

この頃はまだ丸い形状で、後に災害復旧のため土砂を運び出したことから公園化が進みました。

最後に町南部、栄町から寝覚方面です。

こちらにも貯木場があります。また国鉄中央線が、ものすごく近代的な施設に見えています。

画像中央から右、木曽川に架かるのが旧小川橋。右端の右岸側には関西電力寝覚発電所が置かれますが、昭和13年の運転開始のため、まだ姿かたちもありません。

左上に若干大きな建物で小学校校舎が見え、その奥にこんもりと諏訪神社の森が確認できます。

また小学校や諏訪神社の右側、木曽川方向が高台になっています。

現代では住宅地になっていますが、この頃の画像を見ると、この高台の地形に江戸時代の尾張藩材木役所が置かれていたのかな、と推察できます。

 

今回の画像では、昭和12年の上松町を俯瞰してみました。

次回は、これらの画像を高解像度化して拡大し、当時の町のあちこちを個別に眺めてみたいと思います。

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