木曽地域は日本の原風景を残す、貴重なエリアです。

上松町も中山道の宿場として栄えましたが、時代の流れとともに、その景色も移り変わって行きました。

このページでは、最新のAIによる古い写真のカラー化を通じて、古き佳き時代の光景を甦らせてみます。

なお色彩はAIによる自動復元ですので、必ずしも当時の光景を完璧に再現していない点にご留意下さい。

第1回は、20年に一度の式年遷宮を守り続ける伊勢神宮の関連行事。

祭事の場面の公開には伊勢神宮の許可が必要ですので遠慮させていただき、広く知らしめられた場面からいくつか画像を取り上げてみます。

今回の画像は、1941年に開催された行事の風景で、当時の記念はがきをカラー化しました。

上松町では、この年のほか1965年、1985年、2005年の記録も残されています。

 

出典: 伊勢神宮式年遷宮記念はがき

(木曽森林鉄道ボールドウィン号100周年記念イベント 上松町観光協会資料より)

カラー化アプリ: MAGIC TIGER TECHNOLOGY LIMITED「PicMa」android版

森林鉄道に乗車する参列者の面々。

催事が終わって戻るところなのか、これから祭事に向かうのか。

場所が特定できませんが、もし上松駅だとすると影が西に伸びていることから、朝、これから祭場へ向かうところかもしれません。

それにしても、台車の上に鈴なりの人々が時代を感じさせますね。

 

御用材を伐採すると、一時的に安置するために奉安所が設けられます。

2005年の例では小田野地区と上松駅前に設けられていましたが、1985年までは赤沢自然休養林の園内に設定されていました。

それにしても、この場所はかなり標高が高いところに見えます。

果たしてどの場所だったのか、興味が湧きます。

一方、こちらは上松駅。

御用材が到着した場面のようです。

この場所も断定はできませんが、奥に線路が見えていることから、現在のグレイスフル上松様〜上松電子株式会社様の社屋がある場所かもしれません。

カラー化アプリのアルゴリズムのためか、男性陣の頭の色をやたらと強調しているのが気になりますね。

もう一つのビックリ場面が、こちら。

現存する鬼渕鉄橋ですが、木曽川からかなり高いにも関わらず、なんと人力で御用材が載った台車を奉曵しています。

しかも単線、軌道の幅は762mmしかありません。

現代だったら絶対に許可が下りないであろう、恐ろしくも貴重なシーンです。

上松駅へ搬出される前には、赤沢自然休養林の駅舎で台車に載せられました。

まだ赤沢も「自然休養林」とは呼ばれておらず、森林浴すら生まれていなかった時代です。

現在は園地の駐車場になっている場所と思われますが、ひょっとすると幟旗に赤い色が加わっているのはAIのセンスかもしれませんね。

2005年の祭事では、式年遷宮行事の幕などは白黒が用いられていました。

こうして御用材は当時の国鉄中央線に載せ替えられ、名古屋方面へと旅立って行きました。

2005年の行事を例にすれば、運材は6月の祭事の直後に行われていましたが、これらのはがきの日付は9月から10月。

太平洋戦争直前の情勢下ということもあるのか、はたまた他の行事(御船代木の調達など)と一緒に手掛けたのか、関心が深まります。

 

それでは今回は、ここまで。

次回は1950年の大火で失われた、上松町の風景を再現してみたいと思います。

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