木曽地域は日本の原風景を残す、貴重なエリアです。

上松町も中山道の宿場として栄えましたが、時代の流れとともに、その景色も移り変わって行きました。

このページでは、最新のAIによる古い写真のカラー化を通じて、古き佳き時代の光景を甦らせてみます。

なお色彩はAIによる自動復元ですので、必ずしも当時の光景を完璧に再現していない点にご留意下さい。

今回の画像は、いよいよ上松町の大きな節目となった昭和25年の大火の様子です。

5月13日夜から翌14日にかけ、町中心部の大半を焼き尽くす大きな火災となりました。

上松町は木材の町としての宿命か、それまでも何度か大きな火災に見舞われていました。

それにしても、昭和25年の大火は別格です。

当時のニュースはNHKのアーカイブスにも掲載されていました。

 

出典:上松町大火記念行事「大火の記録」

(上松町消防団作成)

カラー化アプリ: Coloroze Images「Colorize Images」android版

現在の上松駅東側、広小路の付近から見た光景…とのことですが、辺り一面焼け野原になってしまい、どの場所なのか見当がつきません。

奥に見える山々や、焼け残った建物が目標物になりそうです。

上松駅前から北東、現在の商工会館が建っている付近でしょうか。

モノクロ写真の際にはあまりわかりませんでしたが、法被の消防団員が数多く確認できます。

この大火では幸い死者は出ませんでしたが、上松町の防災に大きな教訓を残しました。

製材所で丸太を柱や板に加工する「バンドソー」の焼け跡だそうです。

工場の建物は、姿かたちもありません。

左奥の山は愛宕山。右手奥にかろうじて焼け残っている民家が見えます。

焼け跡に多くの住民が集まり、これからの相談をしているのでしょうか。

モノクロ写真ではわかりませんでしたが、青白い煙が一面に立ち込めており、恐ろしいほどにリアリティが押し寄せてきます。

AIは地面に緑色の草を描いていますが、これだけの大きな火災、果たして草地が残っていたかはわかりません。

上松町の西側、木曽川右岸の山腹から撮影された風景です。

大火の直後と伝えらていますが、カラー化して拡大したところ、駅周辺を中心に復興が始まっていました。

現在の上松町につながる都市構成が、道路に現れています。

上記の写真のうち、上町~本町付近を拡大してみました。

画像の左側、上町の街道は延焼を免れています。

本町付近は家屋の形はありますが、屋根も壁も真っ黒になっている建物が多く、全焼~半焼状態が多かったと推測できます。

これらの画像と上記の画像を照らし合わせると、撮影位置が特定できるかもしれません。

こちらは上松駅周辺です。

駅舎も焼けてしまい、駅前も焼け跡ばかり。

この後、中央やや左に役場が建ちますが、まだその気配はありません。

焼けてしまったものの、貯木場には昭和12年にはみられなかったガントリークレーンがあります。

 

上松町は戦後の復興に加え大火からの復興を強いられ、厳しい現代史を歩むこととなりました。

この時代の方々が尽力して下さったおかげで、現在の上松町が残っています。

写真をカラー化すると当時の被災状況がありありと把握でき、復興を遂げた先達に、感謝の念を抱かずにはいられません。

 

次回からは、町内のあちこちを訪ねてみたいと思います。

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